「取れたて」創刊10周年記念

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夏の思い出

平成4年卒 ゆざわ


 ボクが生まれて初めての「自分の定理」を発見してからもう10年になりますか。あー、懐かしいねー。あれがきっかけで道を踏み外した感が無きにしもあらず。

 ボクが発見した「定理」というのも、そもそもは幾何学の世界ではかなり昔から知られていた事実であって証明自体も普通の数学好きな高校生だったら簡単にできるレベル。だけど当時のボクは、それを予想して証明も完了した瞬間にはかなりテンパってしまってて「今この地球上でこの定理を知ってるのは唯一俺だけダ!もしかしたら、俺ってガウス級の天才かもしれん…。」とか本気で思ってた。若いってスバラシイね。

 

 まぁ何にしろこのことがきっかけで、それまでよりも数学がもっと好きになっちゃった。そこで解析概論 とかでマジメに地道に勉強してれば良かったんだけど、もうすぐにでも手柄を立てたくてたまんないから、さらなる難問に挑戦。特にフェルマー予想 と双子素数の無限存在 には結構ハマッた。10000ぐらいまでのすべての双子素数をコンピュータで計算してプリントアウトして、そのリストをじーっと眺めて何か法則性がないか考えたりするのが、もうムチャクチャ楽しかったね。知らない人が見ればただの数字の羅列が載っているだけの紙をじーっと睨んでいるのは、我ながらキモチ悪かったかもしれない。あの頃が今までで一番自由に数学を楽しんでいた時期じゃないかと思う 。

 そう言えば、経験からすると「数学が好きだ」なんて人前で言うと不思議な顔をする人が多いね。大学で数学を専攻すると親に告げたときも、何が楽しくて数学なんてやるの?お金にもならないのに、などとエゲツないことを言われたし。このことは「数学の七つの迷信」  という本に素晴らしい洞察があって、曰く数学とマスター(一部伏せ字)ションには非常な類似がある。第一に人に言われてするものでなく、また人にしろと言うべきものでない。第二にこれをしたからと言ってエラクはなるわけでもなく、かと言ってバカになるわけでもない。第三にしたいヤツがするものであって気が向かないのにするのはアホである…等々 。

 これはまぁ数学だけじゃなくてどんなことにも当てはまることなんだろうけど、特に数学なんかは受験のせいとかもあって、好きでもないのに無理やり「しろ」と言われるせいでか、逆に大嫌いになってしまう人が多いような気がする 。

 振り返ってみてほんとうに良かったなと思えるのは、定理をみつけたということよりも、それがきっかけとなって本当にやり続けてたいと思えるものに出会えたことです。もし今、好きなものがあるという人にはその気持ちを大事にしてほしし、別にないという人も何かを好きになるきっかけはいくらでもそこらへんに転がってるはずだからチャンスを逃さないようにしてください。




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