2007年9月1日(土)釜石南高校の文化祭「釜南祭」において、2年5組理数科の生徒達が、クラスの展示のひとつに、たたら製鉄の実演をしました。
日本で最初に製鉄のための洋式高炉ができたのは、江戸時代末期の釜石でした。南部藩士大島高任が1957年、現在の釜石市橋野に作った高炉は、西洋の書物をもとにしながらも、古来からこの地にあった伝統のたたら製鉄の技術の蓄積を大幅に取り入れたことが成功の鍵であったといわれています。
そのような歴史的な地に生活している私達も、「たたら製鉄」とはどのようなものなのかよく分からないでいました。地元のたたら製鉄研究家の中川先生、新日鉄の方々のご指導、ご協力のもと、生徒達は一日かけて、自分達の手で「鉄」をつくることに成功しました。
この図は、指導してくださった中川先生からいただいたもの。
図の中で「砂鉄」とあるのは、今回は、釜石鉱山からいただいた「鉄鉱石」を使用した。
炭は、火力の強い「松炭」を使用。
たたらの炉の中では、鉄が溶けているわけではない。炉の上部から炭といっしょに鉄鉱石が投入され、炭が燃えながら、少しずつ下に下がっていく。炉の中心部で1300度、ここで一酸化炭素によって鉄鉱石中の酸化鉄が還元されて鉄となるのである。(鉄の融点は1530度)
2007年8月31日(金)文化祭前日の午後、学校の裏庭に炉を作った。上の設計図のとおり作ったものが左の写真。雨が降っていたので、炉に屋根をかけた。左の写真の中央部の青いシートは、この炉を覆っているものです。
この日は、さらに、燃やす炭を、適当な大きさに砕く作業をして、次の日の操業に備えた。
ダンボールに火をつけて炉に落とし、砕いて細かにした炭をかける。炭に火がついたら、さらに炭を入れる。のろ口から風を送ると、炭は勢い良く燃え始まりました。
炉の上まで炭をいっぱいにして、さらに鉄製の補助炉をのせます。補助炉のてっぺんまで、小さく砕いた炭をいれて燃焼させて炉の温度を上げていきます。
最初の4回は、鉄鉱石500g、炭1000g、石灰少々を投入します。左の写真のように、バケツに一回の投入分を用意しておきます。白い粉が石灰、その下にある、細かい粒が鉄鉱石、その下の大きな塊りが炭です。
炉のてっぺんまで入れられた炭は、内部で燃焼すると、少しずつ下がっていきます。適当な速さで降下していくように、送風スピードを調整します。送風機は、スライダックスで、入力電圧を調整して送風量を調整できるようになっています。
投入した炭が燃焼して、下がってくるたびに(だいたい10分)新しい、炭+鉄鉱石+石灰を投入します。
最初の投入から4回は、鉄鉱石は500gずつ投入し、つぎからは1000gずつ投入していきます。鉄鉱石は全部で10kg投入しました。
炉の中心部が見えるように除き窓があります。(総風口でもあります。)炎の色で内部の温度がわかるのだそうです。1300度に保つようにします。
最後の鉄鉱石の投入のころ、「のろ」を出します。鉄鉱石や炉の材料などが、1300度の温度で溶け出してきます。鉄の融点は1530度ですから、鉄以外のいわば「不純物」が融けたものです。これを炉の下部に用意した取り出し口を明けて取り出すのです。
あかい「のろ」が流れ出すと、見ている人達から歓声があがりますが、これは鉄ではありません。のろを出して、のろ口は、またモルタルでふさぎます。
補助炉の上まであった石炭+鉄鉱石は、燃焼が進んでどんどん降下していきます。補助炉が空になるまで下がると、この補助路をはずします。
昔から、たたらの操業では、おまじないに「わら」を燃やすのだそうです。これに科学的な意味があるのかないのかわかりませんが、とにかく、わらを燃やして、鉄ができるように祈りました。
さらに燃焼が進み、どんどん降下していきますが、それにあわせて、耐火れんがを取り払っていき、炉を崩していきます。高温の炉をつくっていた耐火れんがは、真っ赤になっています。土の上において冷めて普通の色に戻っても、紙をおくと燃え始めるほどあつくなっています。
こうして、炉を崩していくと、炉の中心部に、真っ赤な塊りができています。これが鉄です。
たらいに張った水の中にこの塊りを入れますが、あっという間に水は沸騰してお湯になります。もうひとつたらいを用意して、また、新しいたらいに入れます。
こうしてできた鉄が本当に鉄なのか、グラインダーをかけてみます。火花が飛びます。これは、この塊りの中に取り込まれていた炭素が燃えているのだそうで、他の金属の場合は、火花は出ないのだそうです。また、磁石を近づけると、確かにくっつきますし、電気が流れるかどうか通導検査をしますと、ちゃんと電気が流れます。
こうしてできたのが、この塊りです。
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